ドイツ戯曲「火の顔 / アンティゴネ」に寄せて

少年忍者大学 演劇学部 川﨑ゼミ ともTa-low(仮名)


1. はじめに


私がこの作品を観劇しようと思うに至ったきっかけは無論、今回の火の顔主演である川 﨑星輝氏の大ファンだからである。以前北川拓実氏の火の顔を観劇に行っていたので、今 回主演を川﨑氏が演じる、またアンティゴネに関しては初演ということで、どのような役 柄なのかと胸を高鳴らせていた。
また、今回の舞台に関しては“ドイツ戯曲”であり、ドイツの文化が関係しているとい う。だからこそ、舞台の始まる直前に配信された「火の顔/アンティゴネ初日直前 作品を 見る前に~」(以降“予習 TV”と記す)では、『入り込んではいけない』『感情移入するのでは ない』と聞き、私もそのつもりで挑んだ。達観して感じよう、と思って挑んだ。その結果 どのように感じたかに関しては、後述することとする。
この2つの物語には、相互性があると私は考える。次の項目からは、私なりにそれぞれ の演劇で感じたこと、考察したことを、相互性を交えながら記述していこうと思う。

 


2. 演劇本編に関する考察


(1)火の顔...観劇日(計 3 公演):4 月 10 日 19 時(B) / 11 日 13 時(A) / 14 日 13 時(B)


火の顔は、とある家族と姉の恋人で構成され、主人公 クルトの「僕は、自分が生まれた 時のことを覚えている」という台詞から始まる。この家族は一見、どこにでもある普通の家 族に見えるが、爆弾製作に励む弟、体の皮と中身が剥がれてぐちゃぐちゃになってしまった 姉、家族に無関心且つ、「お前たちは病気なのか」となどと子供たちに平然と言う父、過保 護でありながらそんな家族に嫌気が差した母。そして姉弟は近親相姦に走る。パウルは「こ いつら(姉弟)おかしいっすよ!狂ってる!病気だ!」と言うが、私から見たら、この物語で 辛うじてまともなのは頭の弱いパウルだけである。
そしてこの物語を語る上で【原子爆弾】【オッペンハイマー】を欠かすことはできない。 劇中に出てくる“43 秒”という数字は、原子爆弾が爆発するまでの時間だという。回を重ね るごとに私は、「クルト自身の人生」が原子爆弾なのではないかと考察した。クルトは生後 涙を流すこともなく、ただ冷たく世界を見つめていた。この誕生は不発弾だった。この“不 発弾”が爆発する瞬間こそが彼の感情を爆発させ、彼なりに人間らしくいられる瞬間なので

はないかと捉え、1発目の爆発は協会の放火、2発目の爆発は姉との放火(=1発目と2発 目の爆発では風が母さんを吹き飛ばす)、そして最後の爆発が、自らの手で両親を殺め、自 らをも殺めたとき(ようやく全てが収まり静寂が続く)だったのではないだろうか(※自ら の顔に火を付けた際には、不発弾に終わったと考察する)。 ※余談にはなるが、この両親を殺害する際の音楽は非常に穏やかであり、それがまた恐怖を 引き出しているように感じた。 クルトは世界に怯え、世界を憎み、時に自身すら恨みながら生きているように感じる。この 青年の生涯は長いようで非常に短い。それはまるで“43 秒間”のようである。
また、劇中では“ビョーキ”という言葉が度々使われる。この物語における“ビョーキ”とは 何なのだろうかと私は考えた。パウルは「精神病院にぶっこめ」と言うが、単に“精神的な 病気”という意味合いだけではない。怒り、妬み、この世に誕生し、自分を支配しようとす る両親に対する恨み、憎しみ、歪みきった様々な愛のカタチ、残虐な結末... この感情と、この家族の状況全てが私には“ビョーキ”に感じた。
だがしかし、この“クルト”という青年に人間としての心が無いわけではない。姉が恋人と 居れば狂わしいほどの嫉妬の目を向け、理解できないことがあれば他人に感情をぶつけ、嫌 なこと、気に食わないことがあれば“ママ”に甘えることだってある。クルトは自分が分から なくなった時に「ぼ、ぼ、ぼ、僕は」という話し方になってしまうのだろうか。逆に、人間 らしさを取り戻している瞬間にこそ、この現象が出るのかもしれない。
権利、男性、女性、支配、忠誠、愛情、自らの感情・・・最早“人間らしさ”とは一体何な のだろう。
『死んだ人間は冷たい、もう燃えていないから。』
この姉弟は燃えているときにこそ、いや、燃えているからこそ、《生きている》ことを実 感しているのではないだろうか。

 

 

(2)アンティゴネ...観劇日(計2公演):11 日 19 時 / 14 日 19 時


私の勉強不足ではあるが、正直1度で理解することは不可能であった。劇の初めに登場 人物の紹介があるが、それでもやはり物語は難しい。そして、個人的には片方を観劇すれ ばするほど、また片方を観劇したいと思い、そうすることでようやく双方への理解が深まる。
1 度目の観劇時には俯瞰(いや、“川﨑氏を見ていた”、というのが正しいだろうか...)し て見ていたが、先述した通り予習 TV で学んだことは、ドイツ戯曲に関しては『入り込ん ではいけない』『感情移入するのではない』また、『それはアンティゴネの方が強い』とい うことを改めて考え、2 度目の観劇時ではこれを意識し、観劇することにした。だが...考 えれば考えるほど、物語の本質を捉えることが出来、辛くなった。苦しくなった。痺れ た。しまいには、恥ずかしながら涙が止まらなくなっていた。今でも思い出す度に涙が出そうになるくらい胸に突き刺さるものであった。 劇中、我々会場の客たちは人民法廷における民衆とされている。アンティゴネが我々に
訴えかける度に私は震え、アンティゴネに「あなた方」「お前ら」と言われるたびに、自 分自身への訴えに感じ、涙が頬を伝った。「恥を知りなさい!!!」正直、劇中であるた め不可能ではあるが、傍観して何も言えなかった自分を恥じた。無力な自分を恥じた。だ からこそ涙が止まらなかったのだろう。成人という権利を持っていながら、選挙に今まで さほど選挙に積極気に参加しない自分を恥じた。この“日本”という国に生きている限り、 自らの義務は果たさなくてはならぬと、国家を他人ごとに考えてはならぬと、この物語を 通じて改めて考えさせられた。
そしてこの物語では、史実に基づく場面も多数ある。例えばプーチン大統領の話。「戦 死こそ尊い死に方だ」とプーチン大統領は述べたという。他にも物議を醸したのは、ここ に集められた母たちは政権側に都合の良い人だけが集められたという見方も出ているとい う。まさに“国家権力”である。そしてロシア側の兵力も不足し、死者はその数 10 万人を超 えているという。まさにこの《アンティゴネ》の世界である。また、14 日の公演では、J アラートの演出が加わった。正直...私はここで死ぬのだと思った。その前日には実際にJ アラートが鳴っており、非常にリアリティのある演出であった。これこそが座長:川﨑氏 の言う「今、この会場の中だからこそ感じられる」生モノだから感じられるものだと思っ た。危険や戦争、死は私たちにとって無縁なものではない。アンティゴネは言った。「警 告する。自分たちは安全だと思ってはならない。」危険とは、死とは身近なものなのだ。 そして、その最前線にいるのは国家ではなく、我々国民一人一人の“言葉”なのであろう。
少し話は変わるが、預言者テイレシアスは“病気“という言葉を発する。「この国を病気に した」これはどのような意味なのか考えてみたが、これもまた《火の顔》と同じ意味合い なのではないだろうか。怒り、妬み、自分達を支配しようとする国家に対する恨み、憎し み、姉妹・許婚・兄・家族との様々な愛のカタチ、残虐な結末...この物語の国は、”戦争 “という病気に食い荒らされているのである。
エピローグでは“すべてが始まってしまう前に”として幕を開ける。2度目に気付いたこ とだが、恐らくこれは、最初のプロローグの場面とは異なる戦争ではないだろうか。最後 のタイムループでは、“人は何度も同じことを繰り返す“ということを我々に訴えているの ではないかと考察した。そして、アンティゴネは最後のタイムループにおいて、短剣を持 って国家に歯向かう。何もせず黙って国家権力に従うのか。この世界の正義は、まだ死ん でいないのか。”正義“とは一体何なのか。本物の正義はアンティゴネなのか、あるいはあ の時代における絶対権力の国家なのか。「僕は常に、正義の側に立つのです」と言ったハ イモンなのか。「私はただ人間らしく生き、人間の女として死んでいきたい」「人間を憎む のではなく、人間を愛するためにこそ生きている」と民衆、国家に訴え、自らの正義を貫 いたアンティゴネは、光に吸い込まれるようにどこへ向かっていくのか・・・
「女は男に逆らってはならない」「戦争は女の顔をしていない、戦争はいつも男の顔をしている」「家族を埋葬するのは当然のこと」ただ、この国の民衆は、声を上げないだけ で皆アンティゴネの顔をしている。そして、すべてのアンティゴネがもしいなくなった ら、この国はどのようになってしまうのか。一方で、国家の側に就いた者達は、戦ってい る兵士を横目に笑い、楽をしているものもいる。最後の川﨑氏の訴えかけのシーンの後ろ で宴を上げ、高らかに笑い声をあげている者達が、その様を表しているのではないだろう か。そこでまた私は考える。『正義とは一体何なのか』。そして恐らく、その国は、“病気” に溢れ、最期は全てなくなるであろう。

 


3. 結論


川﨑氏の最初の我々への訴えと、最後の訴えは、内容は同じではある。だがしかしその 熱量は全く異なるものであり、観劇する前と後では感じるものが全くもって異なる。
両公演を通し、共通項が多数ある。男女の差あるいは格差、差別、権力、ビョーキ(病 気)、愛情、そして最も恐ろしい“死”。愛情のカタチは双方違っているように感じるが、家 族を思う気持ち、そして歪んだ愛のカタチといった意味合いにおいては同じである。「大 人になったとしても、賢くなれるまでの時間は全然足りない。」これこそがまさに、共通 項であろう。火の顔においても、父親が娼婦の話をしている際に「このことが暗示してい るのは...」で台詞が終わるシーンがあるが、暗示しているのはきっと、“知らないだけでき っと、身近で同じことが起きるかもしれない”ということなのではないだろうか。戦争と戦 争の間に生きている私たち人間。そしてこれもまた、最後の訴えに通じる部分なのではな いだろうか。
私たちは何事も他人事と捉えず、自分事として捉え、時に“何が正義なのか”“何が正解な のか”真剣になって考える必要がある。《火の顔》《アンティゴネ》を通じて私は改めてこの 考えを持って自分の人生を生きていくことにした。
正直、川﨑氏が 14 日のカーテンコールで言っていたように、正しい答えが出ているか はわからない。ただ私が感じたことを、今回は述べてみたことをご了承頂きたい。

 


参考文献


・「火の顔 / アンティゴネ初日直前 作品を見る前に~」 https://j-island.net/s/jitv/video/105226?ima=3828
・火の顔 / アンティゴネ 公式パンフレット
・【解説】プーチン大統領 兵士母たちと面会で波紋 不満や怒りも(油井‘sVIEW) https://www.nhk.jp/p/kokusaihoudou/ts/8M689W8RVX/blog/bl/pNjPgEOXyv/bp/pzXRJ rAnRL/

開けてはいけない箱の蓋を開いてしまったお話

 

 

もうこのタイミングだし

時間も遅いからから

どーでもいい話をベラベラと喋る時間🙃

(しかも初のはてブロ!シューンパッ!テレ〜ン!)

※参照ストチューブ

 

 

蓋を開いてはいけないと

兼ねてから思い続けて

わざと見ないようにしていたSixTONES

 

見たら終わる気しかしなくて、

少クラとかでもわざと飛ばしてたSixTONES

 

 

ある朝ふと見かけた

ズムサタスナックモッチーにSixTONESが来てて、

 

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その流れで

 

 

JAPONICA STYLE

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を見てしまったのが

終わりの始まり_| ̄|○、;'.・ オェェェェェ

 

 

別にそんなに好きでもないし、

こんなに関ジュデビューを願ってる私ですら、

 

 

『一人一人が魅力と個性強くてやばい!!!デビューしてないのが不思議でならない!!!1番デビューすべき人達。』

 

 

って少し見ただけでも

思ったことがきっかけ。

 

 

何よりこの人たちは、

私が今まで出会ったことない刺激を持ってた。

 

 

気付いたら

 

YouTubeを漁り

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IslandTVを漁り

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SixTONESを見まくる毎日。

 

 

そして

よっ!待ってました! /

かのように始まった、

パーフェクトワールド(🖤頭抱🖤)

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JAPONICAなんて何回見たかわかんね🌀

 

 

とにかくこの新規独特の、

『今この人達を知る時間が

    最高に楽しい』

期に突入してしちまったもんだから

もうもうやめらんね🙃

 

担当なんて未だに決まらないし、

全員に_| ̄|○、;'.・ オェェェェェってなる毎日

↑この流行り愛方にしか伝わらねぇ

 

 

たしかにニワカだし全然詳しくないし、

正直この熱がいつ冷めるかなんてわからないし(若干小声)、

昔のことや苦労なんてなーんにも知らないし、

新規掛け持ちDD

色々言う人もいるけど、

 

オタクって

そういうところから始まるよね?

っていうのが私流😌

 

 

私は私のスタイルで

自由気ままにオタクするのが

やっぱり最高に楽しいし、

 

それを理解してくれて

興味も無いのにうんうんって

聞いたり見たりしてくれる

愛方がいることも最高に幸せ🥺

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(写真のセンス、おいっおーい!Cv.森本)

 

 

 

頑張ってる人たちを見るのって

すごく励まされるし、

この人たちのデビューする瞬間を

見届けたいって強く思うよね。

 

 

その瞬間を一緒に迎えられたら

それはやっぱり幸せだし、

出会ってなかった過去

どうしたって変えられないけど、

出会ったこれからの未来

いくらだって変えられる!

 

 

ハァ〜これだからやっぱり

Jr.担はやめらんね!

 

 

楽しいな

 

 

これからもレッツマイペースおたく😊💕